幸せって何だろう。どこに向かって歩けばいいのですか。私は人生における正解が欲しいです。」新聞の声欄に掲載された、21歳の大学生の投稿です。書店に行くと、生き方のアドバイスや成功するための習慣を教える本で溢れています。ますます、人々は正解を求めて苦労しています。
聖書こそが、正解です。そのように言えるまでに、私自身も長い時間と経験が必要でした。しかし、今、はっきりと断言できるのです。聖書こそが、人をほんとうの幸せに導く解説書だと。
教会は聖書の内容を正しく教え、伝える場所です。礼拝とは、聖書のみことばに真心から聞く時間です。創造主は、そのことを何よりも喜ばれるのです。すべての人に、その場所が開かれています。幸せへの正解が提供されています。ぜひ、そのチャンスを手に入れてください。皆さまを、心から歓迎致します。
使徒信条 我は天地の造り主、 全能の父なる神を信ず。 我はその独り子、 我らの主、 イエス·キリストを信ず。 主は聖霊に よりてやどり、処女マリヤより生まれ、 ポンテオ·ピラトのもとに苦しみを受け、 十字架につけられ、 死にて葬ら れ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、 天に昇り、 全能の父なる神の右に座したまえり。 かしこ より来たりて生ける者と死たる者とを審きたまわん。 我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、 聖徒の交わり、 罪の赦し、身体のよみがえり、 とこしえのいのちを信ず。
ホサンナという言葉は、 ヘプライ語で「ホザンナ」「xーザナ」「ホサナ」ともいいま すイエスキリストがエルサレムに入ったとき、 民衆が祝って挙げた叫び、 神を賛 える言葉として、典礼の中で歌われています。 詩編118編25にあるように「あ あ、主よ、 どうぞ救ってください。」!という意味です。 本来の意味は、失われ、 単に、 賛美に伴う感嘆詞のようこ用いられていました。イ エスの弟子であるマタイは、 「ダビデの子にホサナ、ホサナ、 高きところ」というように 修飾語をつけて用いています。この御言葉のように、 ホサンナ教会は、 失われてい る魂を救い、イエス様の恵みに人々が救いをけ、永遠の命を得て、 神の守りの中に生き、 やがて神のもとに戻 る天の国民として生活ができることを望んでいます。 そのような思いからオサンナという名前を付けたのです。渴 いている人々よ!すべて重苛を負うて苦労している者よ、 私のもとに来なさい。 あなた方をやすませてあげよう。 マタイ11章28節。